2026年4月11日、久留米・ルーレットの2代目マスター姫野隆夫さんが52歳の若さで急逝されました。
この訃報は翌日には教えてもらい、こちらからも関係者の方々に連絡させていただいたのですが、悲しくて悲しくて、とてもこの記事を書く気になれませんでした。
そして、ようやく書かなきゃ!と思った矢先、お世話になった熊本・九品寺SMILEのマスターの訃報※を知り、完全に気持ちが折れてしまいました。
※後日、追悼記事をアップいたします。
その後、あれよあれよという間に月日が経過し、バタバタしていた私自身の新生活も少し落ち着き始め、ようやく久しぶりにルーレットさんを訪問。
マスターの思い出を少し語りたいと思います。
「どうせ、また来るんでしょ?」
「そうでしょうね。。。ありがとうございます。
また、その時はよろしくお願いいたします。」
これが、マスターと私の最後の会話。
私が九州を離れることになった23年3月末のこと。
マスターは私より年下。
実は、私が九州を離れることになった時、何が悲しかったか?
それは、私の書いた「九州ジャズ・ガイド」の掲載店のほとんどが遠くない将来、閉店することになるだろうということ。
でも、この老舗だけは、大丈夫!
その時は、マスターと思い出話を語らせてもらったらいいや!
この想いは私にとって、とても心強く、嬉しく、有難いものでした。
ルーレットは、私の大好きな九州ジャズ・スポットにおける偉大なる老舗の一つ。
初代マスターの薫陶を受けたジャズ愛好家は数知れず、久留米・エイトモダン、柳川・グルーヴィ、大宰府・ドルフィーズなど、九州を代表するジャズ・スポットのマスターたちもその門下生。
でも、私にとってのルーレットのマスターは、その息子さんである2代目。
全くお店を継ぐ気がなく東京で一流企業に就職されておられたマスターが、初代の急逝後、久留米にUターンし、2代目をご襲名されたのが、2001年。
その後、ママご存命の間も私はこのお店を訪問出来ず、初めて訪問した時に応対してくれたのは、裏マスター。
営業日を半分ずつ、マスターと裏マスターのお二人で回されていると教えていただき、じゃあ、次は!と思っていたら、閉店時間近くになって、ふらっと入って来られたマスター。
マスターは、東京から戻って来られてから始めた保険の仕事を終えられた後、こんな感じでよくお店に顔を出されておられたのですが、それを知ったのは後のこと。
マスターにお会い出来て、本当に嬉しかったのを今でもよく覚えています。ちなみに、その時の第一印象は、お若いのに、雰囲気がある方だなぁ。。。でした。
その後、マスターのいらっしゃる日に何度か伺いましたが。。。って、そう!ここで「何度も」ではなく、「何度か」としか書けないんですね。実は。
というのも、実際にマスターとお話した回数を今回改めて数え直して驚きました。
20回ぐらい?と思い込んでいたのですが、実際には10回もお会いしてませんでした。。。
それにしては、何と印象深いことか!
マスターから色んなことを教えていただきました。
2代目をご襲名後、考えられたこと、やられてきたこと。
遺されたルーレットというみんなから愛されている老舗ジャズ・スポット。
ママがご健在だった時代とその後。
久留米という街の規模を考えた時、どう運営していけばいいのか?
文化の継承も経済的に成り立たなければ続けられない。
店の形を変えてでも残すという強い意志。
九州で親から子に世襲したジャズ屋は、うち以外ではNew COMBO(ニューコンボ)だけ。
だから、New COMBOのマスターを同志だと思っている。
そんな言葉から、偉大な先代の後を引き継ぐことの大変さが少し垣間見えたりもしましたが、いやいやなんのなんの。
昔ながらの常連さんたちを前にしても、その貫禄・威厳は、昔ながらのマスターそのもの。
あぁ、こんなマスターがこれから先もいてくれるんだ!と頼もしい限りでした。
そして、オーディオ・システムの組み直し。
ジャズの良さを少しでも若い人たちに知ってほしい。
いい音で聴いてほしい。だって、ジャズ屋だもん。
そうおっしゃるマスターが作り上げたこのお店の音は、バランス良く高音と低音が伸び、気持ちのいい切れ味の良さを持ち、ボリュームを上げても全く嫌味がない。
いいジャズを浴びると笑顔になれる。自然と笑みがこぼれる。
そんなことを自然に教えてくれたマスター。
私にとって、マスターのこの一枚は、このファラオ・サンダースの名盤。。。他にお客さんがいらっしゃらなくなるまで粘った甲斐あって、聴かせていただいた至福の体験。
その時の記事を再掲しますが、あの日の感激を思い出して、また涙が出そうになります。。。
「このボリュームで聴くと身体まで熱くなるからいいよね!とおっしゃるマスターに一緒に聴いておられた福岡の誇るジャズ・シンガー西田麻美さんもこれいい!とお墨付き。
いや、本当に聴けて良かった、お腹いっぱい!今ではマスターの愛聴盤の一つというのもよくわかる一枚でした。」
この名盤にはもう一つ思い出があって、「九州ジャズ・ガイド」のこのお店の紹介頁にこの上の写真を使うと言った時のこと。
「何でうちがファラオなの?」といつもと違って、ちょっと絡んできたマスター。。。え?!と驚かされましたが、すぐに「まぁ、好きにしたらいいけど」とおっしゃって、許してくださったのもマスター流。
これもまたいい思い出の一つです。
「九州ジャズ・ガイド」のこともすごく気にかけていただき、「売れ行きはどう?うちの店に置いて売ってあげるから、何冊か持っておいで!」とおっしゃっていただいたり、ともかく優しかったマスター。
ちなみに、今でもこの書棚のど真ん中に九州ジャズ・ガイド全3巻、置いていただいており、感激した次第です。
今回、これまで書き散らかしてきた取材メモを読み返していると、就職氷河期世代でご苦労なさった話とか次から次へと色々なお話が出てきて、収拾がつかなくなったので、お店と直接関係あるところだけを抜き出しましたが。。。
本当に頭のいい方でしたし、濃い人生を歩まれた方だったんだなぁ、と改めて思わされました。
あぁ。。。本当に本当に、悲しい。悔しい。
この店だけは大丈夫!だから、今は他に行っておくべき店があると思ってた。。。
でも、もっと通っておくべきだった。もっとお話を聞かせてもらって、愛聴盤を大音量で聴かせてもらうんだった。。。
ジャズは一緒に聴く人によって、聴こえ方が違うからね。
これは、先に挙げた柳川・グルーヴィのマスターの名言の一つですが、マスターともっと一緒に聴きたかった。
今回、裏マスターがご厚意で、マスターの愛聴盤をかけてくださったのですが、それをじっと聴きながら、そう思った次第です。
残念ながら、4~5百人の方が参列されたというお別れ会には伺うことが出来ませんでしたが。。。
マスターのご冥福を心からお祈りいたします。
【紹介:古くて若い老舗】福岡・久留米 Roulette(ルーレット) 26/06
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