福岡・北九州にあるJR若松駅から徒歩約5分。若戸大橋のすぐ近く、ホテルルートイン北九州若松駅東の正面にある開業45年超の老舗エル・エヴァンスさん。
この店のウリの一つは、見た目のインパクトも強烈な赤いラッパのスピーカー アヴァンギャルドDUO。
五感で感じるバランスの良さを大切にしていると語ったマスターの感性が確実に反映された音が特徴。
マスターは、ジャズでまちおこしに取り組む「若松で音楽を聴く会」、今年26回目となるジャズ・フェスティバル「若松鉄人JAZZ」の元・リーダー。
その溢れんばかりのヴァイタリティやフレンドリーシップ、有言実行の突進力等、情熱的で際立った個性の持ち主。
それだけにお店の営業継続、若松鉄人JAZZの行く末を案じた人が多かったのは事実です。
でも、心配は全く不要でした。
実はこのママ、ジャズ・スポットのマスターがすぐに勤まる傑物。
このママ、マスター在りし日は、黙って一歩下がり、そのヤンチャぶりを温かく見守ってきた典型的な九州女性。
でも、そのジャズ歴はもはや半世紀以上。
小倉にあったジャズ喫茶アベベさんでの初デート以来、マスターと一緒。
寝ても覚めてもジャズ漬けの日々。
それを嬉々として過ごしてきた方。
更にその当時は、次から次へとビッグ・ネームが来日し、九州公演もあった時代。
(上のお店の写真は、外壁のマイルスがトレード・マークだった時代のものです。)
真っ暗な中、アルテックA7がガンガン鳴っていたアベベさん。
アベベさんで聴いたアート・ペッパー、小倉球場のマイルスは最高だった。
城島ジャズ・インや、あちらこちらのジャズ・フェスティバルにマスターや仲間と行って楽しかった。
マスターと一緒に街のレコード屋をハシゴ、山ほど購入するのはいいけど、その帰りが電車で重かった。
等々、楽し気に語り続けるママ。
その熱気や雰囲気は、在りし日のマスターを彷彿。
私がそのお話を聞いた席が全く同じだったこともあり、実に不思議な感じがしました。
そしてこれらの話は、私が各地で多くのジャズ・スポットのマスター達から聞かされたものと同じ。
あの時代ならではの熱い空気を肌で感じ、それを自分の言葉で語るママ。
その力強さにも惹き込まれました。
ママが、マスターと一緒に歩まれたその数十年の歳月の尊さ。
まさにこの言葉に尽きると思いますが、その多くの楽しい思い出と共にその長い時間の中で磨かれたママのジャズに対する豊かな感性。
一つの道を一緒に添い遂げることがどんなに素敵なことか。。。心から感動した次第です。
案外、こんなママの、頼もしく凛々しい姿を一番意外に思っているのは、天国からハラハラしながら見守っていたマスターかもしれません。
一方、「マスターと一緒にいたからこそ、出会えたジャズ。味わえた人生」と終生ママに惚れ抜いてもらえたマスター。
その素敵な人生に献杯。
(注)マスターが亡くなった後を奥様がママとして引き継がれたお店という意味では、福岡・柳川のFUNCOOL (ファンクール、下記リンク)さんも同じ。
共に老舗ジャズ・スポットで、前面で店を切り盛りされていたマスターがご逝去された後、どうなるのかと思っていたのですが、どちらも失礼で余計なお世話でした。
【参考】九州JAZZ発祥の地 若松と町おこし
大正時代、日本一の石炭積出港若松を拠点に活動していた若松パールジャズバンド。
そのバンジョー奏者はマスターの叔父。そんな縁もあり、ジャズで町おこしの活動を開始。
若松鉄人JAZZはその最大の成果ですが、その一連の動きの中で店の前の通りの至る所にこんな( ↓ )楽器のイラストが。併せて、ご参考まで。
この10月1日には、26回目となる「若松鉄人JAZZ」も3年ぶりに有観客で開催。
無事に開催出来て、終えることが出来て、良かった!ホッとした!
とおっしゃった時のちょっと凛とした表情は、その主催者「若松で音楽を聴く会」の2代目代表としてのもの。
この11月から、毎週土曜日のジャズ・ライブをまた再開。
みんなの嬉しそうな顔が見れて、良かった!私も嬉しかった!
とおっしゃった時の表情は、ジャズとこの街とマスターが大好きなママそのもの。
この久しぶりにいただいたジャズコロッケ定食、大層美味しゅうございました。
楽しそうに語るママとお嬢さんの優しい応対ぶりには元気までいただきました。
ちょっと無理なスケジュールでの再訪でしたが、行けて良かった。
と、お蔭様で、ご満悦な再訪となりました。
【駐車場:無(近隣にコインパーキング有)、喫煙:不可】
以前のELLE EVANS(エル・エヴァンス)さんの記事:①17/10 ②19/06【マスターの訃報】
※このお店は弊著「九州ジャズ・ガイド 第③号( ↓ )」にも掲載されておりますので、よろしくお願いいたします。
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