私のシベリウス ②-4 おススメの曲おかわり+α

この頁では、これまでにご紹介出来なかった作品や演奏等をご紹介いたします。また「+α」には、今回私が学んだことを掲載。こちらは今後も私自身のメモとして、追記・改訂いたしますが、ご参考まで。【最新改訂:23.2.5】


【お願い】

1.演奏は基本的にYoutubeの実演動画付きを選んでいます。これはシベリウスに限りませんが、目から入る情報はとても大切。「あぁ、この音はこの楽器から鳴っているんだ!」「指揮者はここでこんな柔らかい音を要求しているんだ!」等々、色々な情報を得ることが出来ますので、出来れば、音楽と共に画像もお楽しみください。

2.もしリンク先のYoutubeが曲の途中から始まるようでしたら、申し訳ございませんが、最初に戻してからお聴きくださいませ。

3.曲名等に貼りつけたリンクは、その詳細解説や該当頁等に飛びますので、ご興味のある方はご利用ください。



【序】耳慣らし

前頁②-3最後の「タピオラ」でご紹介したパーヴォ・ベルグルンドさんは、シベリウス交響曲全集をCDだけでなく、ライヴDVDでも遺されましたが、これが実に素晴らしい記録で、私の愛聴盤※。

オケは最後の3度目の全集を録音したヨーロッパ室内管弦楽団ですが、そのプロモーション動画(交響曲第1,2,6,7番をつなぎ合わせたもの)が Youtubeにありましたので、まずはお耳慣らしにご覧くださいませ。(約4分)



※もちろんCD全集もいいのですが、ベルグルンドさんの指揮姿やそれに対応するオケが観ることが出来るこのDVDの方が私は好きです。確かにDVDは、ライブならではの演奏の傷もあちらこちらに散見されるのですが、ベルグルンドさんがオケと一緒に音楽を作り上げていく様子を観ることが出来る魅力の方が上回りますので。



1.こんな作品もいかが?ハマる人もいるかも?のシベリウス

シベリウスにとって、生涯唯一となったアメリカ遠征は、1914年ノーフォーク室内楽音楽祭から委嘱されて作曲した交響詩『オセアニデス(大洋の女神)』の初演を含む演奏旅行。この大成功を収めた演奏会のプログラムは「ポヒョラの娘、クリスチャンⅡ世、トゥオネラの白鳥、フィンランディア、悲しいワルツ、オセアニデス」ですが、太字で書いた曲は前頁「②-3」の中でご紹介済。ということで、100余年前、米国で受け入られたシベリウス作品の中から、今回まだ紹介していなかった曲をまず2つ。

そして、恐らく、シベリウスの交響曲の中では二番人気※=第2番の次に演奏会で聴く機会が多いと思われる第5番を併せてご紹介いたします。


※感覚的で申し訳ございませんが、シベリウスの交響曲の人気ランキング(演奏会で取り上げられる回数順)は、ダントツの1位が第2番、遠く離されて第5番と第7番がほぼ並び、少し下に第1番、それを追いかける第6番、またかなり離されて第4番、最後は、交響曲チクルスという特殊な機会でしか聴けない第3番、といった感じだと思います。



①交響的幻想曲『ポホヨラの娘』作品49 (1906) 【約14分】

  エッサ=ペッカ・サロネン指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団

何とも魅力的な出だしから始まるこの曲。オーケストラの低音域だけを使って雰囲気のある舞台を作り、そこに木管が歌い出し、盛り上がっていく辺りから、もう何ともシベリウス。色彩感豊かなで動きのあるこの作品ですが、この曲に関しては物語の内容を知っておいた方がより楽しめるので、上のタイトルの『ポホヨラの娘(下線付き緑色の文字)』からリンクしているWikipediaを一度ご覧ください。ちなみに、そこに書いてある映画「サイコ」の音楽に影響したという「ポホヨラの愚弄の動機」は 7分49秒からですが、これは聴けばわかると思います。


それでは、シベリウスが初訪米の演奏会で、名刺代わりの一曲として演奏したというこの自信作。もう何度目の登場かわかりませんが、エッサ=ペッカ・サロネンさんの指揮、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏でどうぞ。



②交響詩『オセアニデス(大洋の女神)』作品73 (1914)【約 9分】

  パーヴォ・ベルグルンド指揮フィンランド放送交響楽団

海を題材にした作品と言えば、1905年、約10年前にドビュッシーが書いた交響詩「海」という名作もありますが、シベリウスが描いたこの海は実に自然で心地好い。また、先程の『ポホヨラの娘』を作曲したのは、交響曲第2番が世に認められ、次の第3番で大きく方向性を変えていこうとしていた時期でしたが、この作品が作曲されたのは、交響曲第4番を発表し、自分の芸術家としての価値を世に問うた後。たかだか 8年の違いですが、その練達度において、随分格が上がったように思えるこの作品。シベリウスの交響詩の中でも埋もれ気味ですが、もっと評価されるべきだと思う作品でもあります。


演奏は再度、ベルグルンドさんが指揮するフィンランド放送交響楽団。この動画は音が良くないので、他の演奏家と差し替えるか否か悩んだのですが、「どうだ!」と言わんばかりにこの曲を熱演なさるベルグルンドさんのお姿にはどうしても勝てませんでした。どうぞお聴きください。



交響曲第5番 作品82 (1915 / 1919改訂)【約31分】

  ユッカ=ペッカ・サラステ指揮 ラハティ交響楽団

好きな人は好きなこの交響曲。指揮者 藤岡幸夫さんもそのお一人で、②-1序章の下の方に掲載した動画「マエストロが語るシベリウスの交響曲徹底解説」の20分40秒から、この曲の聴きどころを詳しくご説明されておられますので、そちらもご覧ください。

ところでもしかして、下の演奏をお聴きになられて、6分辺りから1分ぐらい音楽が途切れ途切れに聴こえるようでしたら、要注意!実はそここそ、音量が小さいと全く聴こえない部分。これまで聴いていただいてきたシベリウス作品で既にお馴染みですが、弦楽器が聴こえるか聴こえないかぐらいの音量でさわさわざわざわと揺れ動き続けている部分であり、いいホールで生のいい演奏を聴いた時に驚愕させられる場面の一つでもありますので、ご参考まで。


演奏は、シベリウス生誕150周年を祝うシベリウス・フェスティバル2015におけるユッカ=ペッカ・サラステさんが指揮するラハティ交響楽団。安定感のある盤石の演奏ですが、その後に奏でられたアンコール「鶴のいる情景」がまた極めて美しい名演(34分30秒~)。これだけでも聴く価値があるのでは?と思ったぐらいですので、併せてお楽しみください。



【メモ①】シベリウスの「耳馴染みの悪さ」について

今回のシリーズの中で何度も触れているシベリウスの「耳馴染みの悪さ」。それは恐らく、ドイツ古典派~ロマン派のクラシック音楽に馴染んでいればいる人であればあるほど、その響きから外れることによる違和感が大きい。よって、本場のドイツ人には邪道にしか聴こえず、全くダメ。日本人でも、一生懸命聴き込んで、馴染んでしまった人はダメなようです。そしてそんな方々は、やはりそこから外れる現代音楽も得意ではないように思います。

よく考えてみれば、私自身がいい例ですが、クラシックを聴き始めて間もない、何の先入観もない頃であれば、全く違和観なくシベリウスの響きに馴染むことが可能。そして私自身、現代音楽に対するハードルも低かったのも、シベリウスの響きに馴染んでいたからではないかと考えている次第です。



2.シベリウスの交響曲、世界共通No.1

①晦渋度No.1交響曲第4番 作品63 (1911)【約35分】

  ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 フィンランド放送交響楽団

「無駄な音が一音もない。恐らくシベリウスはこれ以上の作品を書かなかった。しかし、官能に訴えるものを全く欠いているので、一般的な人気を博することはないだろう」という英国のシベリウス研究家セシル・グレイの評価「最高傑作」&「晦渋」に加え、腫瘍手術後の禁酒禁煙の禁欲生活が「晦渋」な作品を作らせたという憶測等々、「晦渋度No.1」で衆目一致するのが、この曲。とは言え、発表当時の評価はともかく、現代音楽に馴染んだ耳からすれば、「晦渋」どころか、聴きやすいと思うのも事実。ただ残る問題は、この曲の持つ「暗さ」。私自身は、暗い中にも極めて美しいこの世界にどっぷり浸るのがとても気持ち良く、他に代えがたい作品なのですが、体質的にダメな方も多いのかも。


オケはもうお馴染みとなりましたフィンランド放送交響楽団ですが、指揮者はアメリカ生まれのスウェーデン人 ヘルベルト・ブロムシュテットさん。1927年生まれなので、今年97歳になられますが、未だに現役で、N響の桂冠名誉指揮者。シベリウスも主要レパートリーの一つで、昨年10月にN響と演奏するはずだった交響曲第2番が体調不良で聴けなかったのは残念。それでは、この曲をブロムシュテットさんの透明感の高さと毅然とした美しさを誇る演奏でどうぞ。



②不人気No.1:交響曲第3番 作品52 (1907) 【約30分】

  エッサ=ペッカ・サロネン指揮 スウェーデン放送交響楽団

この場合の「不人気」は演奏会で取り上げられないという意味ですが、上記1で書いたとおり、7つの交響曲の中で一番人気がないのは、間違いなくこの曲。でも、7年前に書いた記事のとおりですが、個人的にはとても大好きな曲。もそもそしたコントラバスの出だしが印象的で、展開部で第4番以降のシベリウスが垣間見える第1楽章、ピツィカートと木管楽器の掛け合いが可憐で美しい第2楽章、最後のコラール風のフィナーレでいつも鳥肌が立ち、涙が出そうになる第3楽章から成る本当にやわらかくて、かわいい曲。


他の作曲家より、演奏者によって曲の印象が異なって聴こえやすいシベリウス。その中でも、演奏回数が少ない=模範的演奏が未だに定まらないせいか、演奏者による違いが出やすいのが、この曲。更には残念なことに、ガサツな演奏をすると「第2番から第4番へ大きく変革する過程で生まれた中途半端な駄作」に聴こえる可能性も大。となると、やはり繊細な音楽作りをされるエサ=ペッカ・サロネンさんにお任せすることに。スウェーデン放送交響楽団との素敵な演奏でどうぞ。



【メモ②】シベリウスの名言

批評家の言うことには決して注意を払わないでください。

覚えておいてください、批評家を讃えて銅像が建てられたことは一度もありません。

これは、シベリウスの作曲家としての矜持が窺える私の好きな言葉。


ただ、実際には、評論家でも銅像が建てられた事例があるようです。

しかも、「近代批評の父」と呼ばれたサント=ブーヴはともかく、作曲家 ブルックナーの天敵だったハンスリックにあるというのは、どう考えていいのやら。。。



3.聴き比べ:交響詩「タピオラ」作品112 (1926)

②-1で、シベリウスの作品でよくあることとして、「違う指揮者の演奏を聴いては『あれ?こんな曲だっけ』と驚かされ」と書きましたが、シベリウスは指揮者による解釈のバラツキの広さ、オケの個性・力量等々、その演奏によって、曲の印象がガラッと変わりやすい作曲家。それを実感していただくためには、聴き比べが一番!ということで、②-3でご紹介した交響詩「タピオラ」を題材に早速やってみましょう。


ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を辞してからますます元気なサー・サイモン・ラトルさんは英国人ですが、シベリウスを精力的に演奏する指揮者の一人。まずは、その手兵・ロンドン交響楽団との演奏をお聴きください。【約18分】



シベリウスの演奏については、ベルグルンドさんに学んだというラトルさんですが、続いて、そのベルグルンドさんの演奏を再度どうぞ。(前頁②-3でご紹介した演奏を再掲)【約15分】



さて、いかがでしたでしょうか?

録音やホールの違いもあるかもしれませんが、曲のイメージ、音の鳴り方・響き方、演奏時間、指揮者の解釈・演奏者の歌い方等々、何か違いをお感じになられましたでしょうか?


この演奏者の違い以外にも、いい録音のCDを大音量で聴いた時、いい演奏をいいホールで生で聴いた時等々、何度でもその違いに驚けるのが、シベリウス。

まだまだ魅力的な作品、演奏が残ってはいるものの、今回のおススメは一旦終了といたしますが、せっかくのご縁です。もし何か感じるところがありましたら、このシベリウスの奥深き世界。引き続き、お楽しみください。



4.アンコール

樹の組曲 Op.75-5「樅(モミ)の木」

   舘野 泉(p)

アンコールは、シベリウスのかわいらしいピアノ小品を歴史的録音※でどうぞ!

※シベリウスが住んでいた家アイノラで、シベリウスが愛用していたピアノを使って録音した世界初のアルバム。演奏はフィンランド在住、日本シベリウス協会2代目会長、現・最高顧問の舘野 泉さん。今では「左手のピアニスト」として有名ですが、永年フィンランドの音楽に貢献したことが認められ、特別に許された録音だそうです。



【 +α 】今回、色々学んだことのメモ・リンク集

1.語るシベリウス

・散歩の途中で鶴の鳴き声を聴いた。それは、私の魂の音楽によく似た響きだった

・交響曲第4番は私の作品を語る上で不可欠な存在であり、この交響曲を著したことになによりの喜びを感じている

・私は交響曲を作曲し、演奏のたびに新しい賛同者を得てきた。しかし離れていった人もいる。交響曲はこうして考えると、たんなる音楽ではなく、生命の主要な表現であり、作者の精神の進展を意味している



2.語る作曲家

・吉松 隆さん:「シベリウスの第8番はなぜ消えたのか?]こちら

シベリウス協会会報に掲載された吉松さんの1998.05.01付の文章ですが、シベリウスの交響曲全体に対するお考えもわかって興味深い一文です。

・カリヤ・サーリアホさん曰く:自然界で最も美しい音を奏でる鳥たちは音楽家にとって憧れの存在。鳴き声だけでなく、空を飛ぶ美しい姿もインスピレーションを与えてくれる



3.語る指揮者

・ サー・サイモン・ラトルさん曰く:シベリウスは自分の音楽がどのように響くべきか、明確なイメージを持っていた。しかし、どう書けばそうなるかは(わかっておらず)、必ずしも実現出来たわけではない、②指揮技術の秘密は、結局は音楽をどう響かせるか、ということに尽きる(ので、楽譜どおりより、作曲家のイメージどおりに演奏するためにどう工夫するのかが、大切)、③シベリウスは今日でもモダン。拍節とテンポにおいて、これほど実験的だった作曲家はいない、④シベリウスの作品では、(とりわけ交響曲の場合)「人がそこにいる」とは感じられない。もし人間がいるとすれば、それは自分自身の「不安の森」に入り込み、捕らわれた人がいるという意味において。つまり、そこに足を踏み入れる者は、もう二度と帰って来られないかもしれない。私はシベリウスの音楽の本質は、最終的にはそこにあると思います。

【BPOシベリウス交響曲全集収録インタビューから要約・引用】



・井上道義さん曰く【交響曲第7番について】①この曲は名曲中の名曲だと思う、②「我々はこの森と湖の中でとても孤独だけど、生きてて嬉しいだろ?。。。だよな?」という曲

【2021.6.5 N響定期でのインタビューから引用】

・大野和士さん曰く【交響曲第6番について】:①旋律線と呼ばれるものはなく、単純な音型の繰り返しによって茫洋と膨らんでいき、最後はとても高いところまで上がって終わる第1楽章、②聴覚の錯覚を使って2拍子に聴こえる仕掛け=3拍子の2拍目から出るので、強拍がなくなる。そうすると降りてくるところがなくなり、それが浮遊感となり、結果として、高くビヨンド(遥か彼方)の世界へ誘われる第2楽章、③不思議な距離感に誘われる第3楽章を通じて、その謎解きがある第4楽章へ、④音楽が沸き立って、これまでより更に高いところ、ファービヨンド(遠く遥か彼方)の世界へ消えていく第4楽章、⑤シベリウスはずっと追い求めていたこの境地、ファービヨンドの世界に、この曲と第7番で結びつくことが出来たのではないか。だから、シベリウスはその後、作曲する内的必然性がなくなったのではないかと思う 

【下記 都響・配信動画「大野和士が語る シベリウス:交響曲第6番」(約14分)から要約・引用】



・藤岡幸夫さん曰く【シベリウスの演奏について】:①大袈裟な表現を好むマーラーは交響曲第6番では衝撃をハンマーで叩いて表したが、全てを削ぎ落していくシベリウスはそれと同じ効果を休符で出した(交響曲第4番)、②シベリウス直伝の教えが残っているのは、むしろ英国のオケで彼らから学んだことは多い。例えば、モデラートは通常「流れるように」という意味だが、シベリウスが使う時は逆の意味で「落ち着いて」、モルト・モデラートは「物凄く落ち着いて」、ピュウ・モデラートは「もっと落ち着いて」、そして、アンダンテも物凄く遅い。フィンランドではそんな伝統が伝わっていないので、演奏がやけに早い指揮者が多い 

【Youtube 厳選クラシックちゃんねる「徹底解説・マエストロが語るシベリウス 7つの交響曲」から要約・引用】



・新田ユリさん曰く【シベリウス作品の特徴】:”響き”そのものが音楽の大事な要素。絵画でいうと”遠近法”にあたるものをオーケストレーションで作っている。それは油絵のように塗りを重ねていくのではなく、水彩画や水墨画のようにむしろ”色を抜いていく”ということ。色の薄い中に、トーンの違うアクセントのあるものをぽんと置いただけでどうなるのかといった手法がスコアにはある、②主旋律があってハーモニーがあってという簡単な構図ではない。20世紀音楽でいう”音色旋律”と同じように、オーケストラのいくつものパート全体がひとつの主旋律を受け継いでいる。だから、聴き手にはすべて断片的に聴こえるが、じつはトータルでひとつのメロディになっている。そこに気づくと、あちこちのグループがそれぞれ呼び交わしている構図が見えてきて、魅力的に感じられてくる、③もうひとつあるのは、ハーモニーのセクションやリズムを含めて、全体をつくっている響き、その大きな建物のいちばん外側の作り方において最低限の音しか使っていない。ひとつの音が鳴れば自動的に倍音も鳴るが、ロマン派など近代の作曲家たちは、倍音が鳴っている中にさまざまな楽器を埋め込んで厚みを持たせて、ゴージャスな響きをつくっている。ところがシベリウスの場合は、逆に抜いていく。たとえば、コントラバスとティンパニだけに旋律をやらせることで、その上に豊かな音が鳴っていることを気づかせてくれる、④シベリウスには圧倒される音圧はほとんどない。同時代の音楽家と比べてもそこが一番の違い。そこには”聴こうと思って聴かないと、聴こえてこないもの”が確かにある。自然の景色の中に自分から積極的に入っていくような面白さもある 



・新田ユリさん曰く【シベリウスを演奏するに当たって】:シベリウスは、”どういう音が欲しいのか”がわからないとオケが演奏できないので、まずイメージを伝えるようにしている、②例えば、交響曲第7番は”未来に続く音”。あらゆるものを超越した世界で、冒頭でティンパニが叩くG(ソ)から始まった想念や概念が、最後のC(ド)にたどり着く。途中で宇宙にワープするけど、そういう世界なので、とにかく停まらないでほしい。振り返らないでほしい。目標は無いが、目的地をもってひたすら動いている音である、と。そして最後のドは、とりあえず終止はしているけれども、また次の世界へ繋がる音。③譜面上は、技術的にはそれほど難しくはないのに、”次にどうなるかが分からない”書き方。何百年も変わっていなかった音楽のフォルムから外れた、作曲家の言葉を借りれば”神が地に投げかけたもの”を作曲家が解析して人間に分かる言葉で書いている、といった作品。結果的に聴くとナチュラルだが、フォルムがあまりに他と違うので、まるごと全部理解して身体に入れないとなかなか演奏できない、



・新田ユリさん曰く【2000年※、フィンランドのオスモ・ヴァンスカさんの下で1年間研鑽を積んだ経験より】:オスモ・ヴァンスカ=ラハティ交響楽団は、シベリウスが書いた、特に強弱を決して変えることなく、どんなに弱音で書かれていても、どんなに他のセクションが強音であっても必ず異なる楽器の音は聴こえるんだという信念に基づいて演奏していた、⑤フィンランドには、”耳をひらいていろいろなことを聴く”という姿勢がある。静寂を大切にするというフィンランド特有の音に対する感覚。鳴り始めから終わりまでの全部の音が聴こえた。※2000年は、現在も継続しているシベリウス音楽祭が始まった年であり、BISレーベルの全集も進行中、新しいシベリウス・ホールも完成する等、まさにシベリウスを新しい視点で掘り起こし、演奏していく状況だった 


【参考】オスモ・ヴァンスカ指揮 東京都交響楽団の演奏会CM(シベリウス:交響曲第5番 変ホ長調 op.82のリハーサル風景)(約1分)

ヴァンスカさんのちゃんとした演奏は、残念ながらYoutubeで見つけらませんでしたので、ここで雰囲気だけでもどうぞ。



・新田ユリさん曰く【シベリウス作品について】:シベリウスは”音楽の根源”というものをすべての作品で追究した人だと感じる、②第7番とタピオラにたどり着いてしまったので、第8番がないのは仕方ない、③第7番とタピオラは、始まりかたと終わりかたが同じスタイルで書かれていながら、中身が違うセット。第7番では、人間と音楽というものをある意味でロジックを用いて表現したもの、タピオラでは、人間がどういう存在なのかを森の神タピオを通して描いてみせた。この2つのコンセプトはシベリウスの創作を貫いてきた汎神論の答え。それを最後の2つの作品両方で出したというのは、やはり凄い作曲家だと思う 

【以上、レコード芸術誌1995年3月号、音楽の友2015年11月号の新田ユリさんへのインタビュー記事より、要約・引用】

・新田ユリさん曰く【交響曲第7番とタピオラについて】:①シベリウスは”共感覚”の持ち主※だったと言われている。※ニ長調は黄色、イ長調が青色、ハ長調は赤色、ヘ長調が緑等、調性に色を見ることができた人 ②古からロ長調は「大胆な誇り、清潔な純真」、ハ長調は「単純、素朴、明確」という性格が言われてきた ③人智では解明できない問いを含み持つタピオラの世界がロ長調に終わることは、とても納得がゆく。人には越えられない世界であっても、そばに佇む孤高の存在としてのロ長調の色を感じる ④論理的な交響曲の中で語られた人間哲学の究極の姿(第7番)の姿がハ長調、そして人間の及ばぬ自然界への畏敬の念を思わせる交響詩「タピオラ」にはロ長調を選択した、シベリウスの”共感覚”の不思議をあらためて思う 

【以上、ご自身の著書「ポホヨラの調べ」より、要約・引用】



・新田ユリさん曰く【フィンランディアについて】①【出だし】低音楽器だけで、重苦しく下がる音をクレッシェンドすることで圧迫感を強調、【闘争の持ちかけのモチーフ:休符の溜め】トランペットの最初を休符にすることで、エネルギーが蓄えられ、次のファンファーレの爆発力を生む、【勝利へ向かうモチーフ:メロディと拍子のズレ】4拍子の中に5拍子のメロディを書くことで、5小節目でメロディの最初の音がぴったり拍の頭に当たり、足並みを揃えて進む感じを出している、②トレモロ(弦楽器の刻み)があるかないかで、メロディの響きの膨らみ方、奥行きが違ってくる。風がある時とない時、風がぴたっと止んだ時の独特の緊張感、そよ風が吹いている感じ、木の葉が柔らかく揺れるような感じ、自然の中には幅の広い複雑な音が鳴っているといった空気の質感をシベリウスは曲の中に取り入れている、③ハッキネン、トッタカイ(もちろん)といった跳ねる言葉=フィンランド語の促音をメロディに取り入れている  

【NHK クラシックミステリー名曲探偵アマデウス:シベリウス 交響詩「フィンランディア」より、要約・引用】



【おまけ】衝撃の「シベリウス交響曲全集(第1~7番)」全曲【3時間40分】

   パーヴォ・ベルグルンド指揮、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

ベルグルンドさんのこの2度目の全集は、我々世代のシベリウス愛好家にとっては、バイブルみたいな全集。今となっては重く感じられる部分もありますが、逆に何とも言えないテンポや間、空気感、うねる音、そして音の厚み等、未だに「あぁ、これこれ」と思わせられる宝物。

お好きなところから、気ままにお楽しみくださいませ。


   00:00 ~ Symphony No.1 in E minor, Op.39 

   36:29 ~ Symphony No.2 in D, Op.43

1:16:20 ~ Symphony No.3 in C, Op.52

1:45:03 ~ Symphony No.4 in A minor, Op.63

2:19:32 ~ Symphony No.5 in E flat, Op.82

2:50:02 ~ Symphony No.6 in D minor, Op.104

3:19:08 ~ Symphony No.7 in C, Op.105



【私のシベリウス】

①序章:こちら

②ようこそ!ここ~シベリウスの世界~へ

- 1.本文:こちら

- 2.聴くコツと作品分類:こちら

- 3.おススメの曲:こちら

(a)(大音量で聴く必要のない)親しみやすい魅力持ったシベリウス

(b) 一度ハマったら抜けられないファンタジーの世界へ誘うシベリウス

(c) ハマる人はハマるかも?の尖った魅力のシベリウス

- 4.おススメの曲おかわり+α:本頁

(a)こんな作品もいかが?ハマる人もいるかも?のシベリウス

(b)シベリウスの交響曲、世界共通No.1

(c)聴き比べ:交響詩「タピオラ」

(d)+α:語るシベリウス、作曲家、指揮者

③年表(参考資料一覧も掲載):こちら

④私がシベリウスにハマったキッカケ:こちら


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汝が欲するがままをなせ

九州ジャズ・スポット巡りを中心に興味の赴くままジャズ・クラシック等について不定期に掲載。 タイトルはM・エンデ「はてしない物語」の含蓄に富んだ言葉で、サイト主の座右の銘。 ♪新しい秩序、様式が生まれる時代の幕開けです。この混沌を積極的に楽しんでいきましょう。危ぶむなかれ、行けばわかるさ、です。笑