今回の「九州ジャズもんの一言」は、福岡・大橋にあるJazz Village GOLBY(ゴルビー)のマスターの一言
「ジャズは自由な音楽」
前回の「九州ジャズもんの一言」で「ジャズは自由な芸術」という太宰府・ドルフィーズのマスターがおっしゃった一言を取り上げましたが、年代的に団塊の世代の弟分に当たるこのお二人、感性の違いと類似性が実に興味深く、このお言葉についてはよく似ていますが、全く違う趣旨のお話です。笑
この言葉は「演奏者にとってもだが、それは聴き手に対しても当てはまる」とのことですが、このお考えはマスターのジャズ遍歴に起因するものと思われます。
それまで歌は直立不動で歌うものだと思われていた中学時代、レイ・チャールズが「What'd I Say」で体揺すって感情の趣くまま歌っているのを見て驚き、洋楽に傾倒。高校時代にマイルス・イン・ザ・スカイを初めて聴いた感想は「わからないけど、カッコいい」。
そこからマイルスを遡りつつ、その後の新作もウォッチし続け、最後まで嫌いにはならなかったどころか、マイルスの死ぬまで前進し続けた姿勢に感銘を受けられたのだそうです。
尚、大学時代は東京・神田の響(ヒビキ)というジャズ喫茶に通われ、福岡に戻られてからは大宰府のニシムラさんに通われたり、ニュー・コンボさんやリバー・サイドさんにライブを聴きに行かれていたというのはよくある話ですが、その当時、フュージョンには馴染めなかったので、一時期はヒーリング・ミュージックも聴かれておられたとのこと。。。これまでお話を伺ってきたジャズ喫茶/バーのマスターの中ではちょっと異色?
ということで、このマスターは「昔のだけじゃなく、新しいミュージシャンもちゃんと追っかける」という柔軟な考えの持ち主でもあり、東京では珍しくないのかもしれませんが、こと、ここ九州においては大変珍しい存在。
そして、先のドルフィーズのマスターが20~40年代にご関心をお持ちなのと方向が真逆なのも面白いですが、それ以上に面白かったのが、お二人共、おっしゃることが「昔の(ビ・バップ/ハード・バップ)だけじゃなく」という部分で一致されること。
「団塊の世代」マスター達とその弟分世代とはその辺りの感性が違うのでは?(注)と今後、九州ジャズ・ロードを巡る際の新たな興味が増えました。笑
さて、そんなマスターに色々教えていただいた中で、一番いいなと思ったのは、マイルスの音でプロを目指したというトランペッター クリス・ボッティ。
「フュージョン・トランペッターという人もいるかもしれないけど」と前置きされたものの「いいものはいい」と言い切られたマスター。
ジャズ喫茶のマスターともなるとその嗜好に対して相当外野席がうるさいはずなのですが、ジャズは聴き手にとっても自由な音楽。誰に何と言われようと、いいものはいい、とご自身のお考えを表明されるその勇気。。。もちろん、そこにはちゃんとした理由を語れる実力があってのことだとは言え、本当に素晴らしいことだと思いましたし、とても勇気をいただきました。
ありがとうございました。
(注)「団塊の世代」マスターという定義は、その年齢だけでなく、それ以外にもお店を開業されたタイミングにも大きな壁があるのかもしれません。それはCDの発売前か否か。
実は、このマスターのお話を伺っていて「団塊の世代」マスター達との感性の違いをとても感じさせられました。そのキーワードは「何時間でも聴いていられる心地好い音楽」。
大きなテーマでまだ自分なりの結論が出ず、書き出せなかったのですが、勇気を持って(笑)、書いてみます。
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