今回の九州ジャズもん列伝で取り上げるのは、福岡・久留米ジャズ・クラブ代表の江越 秀明さん。
その顔の広さが九州ジャズ界の中でも有数だと思われる江越さんはとても個性的・活動的で、人間好き。中でも「ジャズもん」が大好きで、ライブの人というイメージが強い方ですが、実際、ご自宅の書斎にある写真・サイン色紙・パンフ・ポスター等々、膨大なその交流の証=コレクションは見る人が見たらお宝の山。
これはその中からの1枚、坂田明さん作の色紙「死ぬまで生きる!」ですが、久留米ジャズクラブとしてのラスト・ライブ 中村家九州ツアー2018@ルーレットの時に伺って是非見たい、ご紹介したいと思っていた逸品です。
さて、江越さんの地元・久留米で有名なジャズ喫茶としてまず最初に挙がるのは「大」老舗のジャズ喫茶ルーレットさんですが、福岡南部にはその初代マスターの薫陶を受けた方が実に多く、その影響力の大きさには驚かされます。
例えば、江越さんの幼馴染みでもある同じく久留米の老舗ジャズ喫茶エイトモダンのマスターや柳川のGroovy(グルーヴィ)のマスターはそこで修業された後、開業された方々ですし、多くのジャズ喫茶のマスターが「客としてよくお世話になった」とおっしゃいます。
そして、江越さんのジャズの師匠も、もちろんその初代マスター。。。小学4年生の頃、ラジオ「トリス・ゲーム」でジャズと出会い、ベニー・ゴルソンの「ブルー・スエット」でハマり、ルーレットさんに通い詰めてマスターご夫妻に可愛がってもらった高校時代を経て、ジャズもんとしてすくすくと成長(?)。
その後、久留米ジャズ愛好会を経て、94年に久留米ジャズ・クラブを主宰。そのメンバーと共にライブを開催・サポート、地元のドリームズFMでのジャズ番組の企画や出演等々、精力的に活動される中で多くの縁に恵まれ、それらを大切にされてこられた成果がその「広い顔」だと思われます。
また、ライブは打ち上げが一番楽しい!とあっけらかんとおっしゃる明るくおおらかな酒豪らしい性格と、一度会ったらすぐに覚えてもらえる独特なキャラクターがその大きな武器。
曰く、話好き、世話好き、感激屋、情に厚い、親分肌等々、それを表す表現は色々ありますが、全ての言葉の前に「無類の」という修飾語がつくのが江越さん。
そもそも私が、九州ジャズロード著者の田代俊一郎さんにお会いすることが出来たのも、まさにその「無類の」キャラクターのお陰でしたので、本当にありがたいと思っています。
先日、久留米のご自宅を訪問させていただきましたが、その三角屋根の書斎は完全防音で、ご謙遜される音響もその空間と相俟って心地良く、まさに男の城!
九州ジャズもん列伝Vol.1で取り上げた熊本のJ・Mさんの時にも思いましたが、ただただ羨ましい限り!
今回、色々なレコード、CD,LD等を聴かせていただきながら、お宝の品に纏わる思い出話をお聞きしましたが、特に印象的だったものの一つは、不世出の伝説的ピアニスト 田村翼(ヨク)さんの最後のCD「Departure」。
これは、久留米ジャズクラブで主催したライブの録音ですが、個人的にカセット・テープに録音されたものが正式に発売されたという伝説的な名盤。
このSWING Journal 1996年6月号に掲載された記事に詳しく書かれていますが、田村さんが久留米でのライブの後、急逝されたことを受け、最後の演奏を世に問えないか?ということで奔走した結果、発売することが出来たという逸話つき。
ライナーノートの最後に掲載されている田村さんと江越さんのツーショット写真や、この最後の時に書いてもらったサイン色紙(上の写真の右側)等、思い出の品からの逸話でした。
また、北海道のジャズ・シンガー スージー黒岩さんと出会うまでの不思議な縁の話や彼女の九州ツアーを組んだ時の話に飛び火して、江越さんお気に入りのスージーさんの名言「思うようにはならないが、やったようにはなる」の話もあり。
そこから研究されておられるジャズ評論家 岩浪洋三さんと出会った時の話に移り、その岩浪さんが福岡の歌姫MAYUMIさんの歌に惚れて、デビューCDのライナーノートを書かれたという逸話もあり。
「ジャズに守られた人生」とおっしゃるカッコいいお言葉も大袈裟に聞えず、大好きなベニー・ゴルソンのライブに行って写真を撮った時のお話等々、嬉しそうに語り続けられるそのお顔からジャズとジャズに関わる人に対する深い愛情が感じられ。。。人生の大先輩に対して失礼ですが、もう、微笑ましいの一言。
今後も色んなお宝話を聞かせてほしいと思う次第です。
最後に。先程も少し触れましたが、ライフ・ワークの一つ「中村八大さんについての研究レポート発表」。。。極めて大変なテーマだと思いますが、期待しておりますので、頑張ってください!
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